【涙腺崩壊】若き特攻隊員が家族や婚約者に送った遺書!最期に彼らが伝えたかった想いに涙が止まらない・・・

若くして散っていった特攻隊員が家族や婚約者に送った遺書に涙が止まらない・・・

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07/19 16:13
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【涙腺崩壊】若き特攻隊員が家族や婚約者に送った遺書!最期に彼らが伝えたかった想いに涙が止まらない・・・

若くして散っていった特攻隊員が家族や婚約者に送った遺書に涙が止まらない・・・


出典:academic-box.be

 

若くして散った特攻隊員の遺書

陸海軍あわせて6000人以上の若い命が戦場に散った旧日本軍の特攻作戦。

彼らが最期に残した家族や婚約者に遺した遺書には伝えたかった想いが詰まっています。その一部をご覧ください。

■ 相花信夫少尉(享年18歳)「母を慕ひて」

出典:1.bp.blogspot.com
第七七振武隊として、昭和20年5月4日に出撃、戦死。継母に言えなかった「お母さん」という言葉を書き綴っています・・・

■ 小川清少尉(享年22歳)「最後の便り」

出典:matome.naver.jp
神風特別攻撃隊第7昭和隊としてアメリカ空母バンカー・ヒルに突入し、戦死。

■ 武田竹司少尉(享年18歳)「大好きな餅が食べたい」

出典:matome.naver.jp
昭和二十年四月十二日、第三回神雷桜花特別攻撃隊で一式陸攻の搭乗員として出撃、南西諸島方面にて戦死。

■ 渡辺利廣少尉(享年24歳) 家族に宛てた手紙

出典:www18.atpages.jp
昭和20年4月22日、知覧飛行場より九七戦で特攻出撃し、沖縄本島で戦死。

■ 荒木春雄大尉(享年21歳) 妻に宛てた手紙

出典:www18.atpages.jp
第51振武隊(悠久隊)にて知覧飛行場より出撃。新妻・しげ子さんと結婚したのは特攻隊となったとき。

■ 穴沢利夫大尉(享年23歳) 婚約者に宛てた手紙

出典:www18.atpages.jp
昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」に乗って知覧飛行場より出撃、戦死。女物のマフラーを巻いたまま、敵艦に突っ込んでいったと伝えられる。

穴沢利夫大尉の婚約者だった伊達智恵子さんは、穴沢利夫大尉が吸った煙草の吸い殻をずっと寄木細工の小箱に入れて持っていました。


「彼の唇に触れた唯一のものだから」

出典:ねずさんのひとりごと


出典:blog-imgs-43.fc2.com

8月15日の終戦の時、「あなたは何のために死んだの」と虚脱感におそわれという智恵子さん。

自分に宛てた手紙を公にすることや、戦時中のことを話すことにためらいがあったと言います。それでも話すことにした理由を『知覧からの手紙』で次のように語っています


「最近は、戦争が美談とされることもあるし、特攻隊を勇ましいと憧れを持つ人もいる。でも、私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。間違った事実が伝わらないように、今、話しておかないと、と思ったのです。あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は、毎年少なくなっている。長く生かされていることに、何らかの使命が課せられているとしたら、それは語り部の役割かもしれませんね」

出典:ねずさんのひとりごと

涙が止まりません・・・

 

ネットの反応

・知覧特攻平和会館で読んだよ 涙で一杯になった
・18歳でこんなの書けるのが凄すぎるし辛すぎる
・特攻隊の話弱いんだよなぁ 遺書とか写真とか見ると涙が止まらない
・遺された家族・婚約者も辛いだろうな

特攻兵器を開発し、未来ある若者を戦場に送った
当時の上層部の人間は許されてはいけませんね

出典:NAVERまとめ, 花と子犬のページ

引用元

bazzoo.info

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