【驚愕】50年前のオリンピックである男性の勇気ある行為が彼の人生をぐちゃぐちゃに破壊した・・・

1968年のメキシコ五輪の表彰台で黒人選手が人種差別に抗議を示す行動をして大ブーイング! これに同調した白人選手も非難を浴び、人生が大きく狂ってしまうことに・・・

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【驚愕】50年前のオリンピックである男性の勇気ある行為が彼の人生をぐちゃぐちゃに破壊した・・・

1968年のメキシコ五輪の表彰台で黒人選手が人種差別に抗議を示す行動をして大ブーイング! これに同調した白人選手も非難を浴び、人生が大きく狂ってしまうことに・・・


出典:www.imishin.jp

 
 

メキシコ五輪の表彰式で起きた事件

今から約50年前の1968年に開催されたメキシコオリンピックの陸上男子200メートルの銀メダリスト、ピーター・ノーマン(オーストラリア)。


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大会前、ピーター・ノーマンは国からはほとんど期待されない存在でした。陸上男子200メートルには圧倒的に強い2人の選手、アメリカのトミー・スミスとジョン・カーロスがいたこともあり、メダルを取るとは思われていなかったのです。

しかし予選で大会新記録を出すなど、大会に入ってから記録を伸ばし、見事決勝に進出しました。もちろん、トミー・スミスとジョン・カーロスも決勝に進出。

ピーターは同じアスリート同士、トミーとジョンと仲良くなり、健闘を誓い合います。

そして迎えた決勝。ピーター・ノーマンは見事な走りでジョンとトミーの間に食い込み、2位となりました。1位は19秒83の世界記録を出したトミー・スミス。ジョン・カーロスが3位でした。

そしてメダル授与のための表彰台。ここでトミーとジョンは近代オリンピックの歴史において、最も有名な写真となる「ブラックパワー・サリュート」と呼ばれる示威行為を行います。


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トミーとジョンはアフリカ系アメリカ人の黒人選手。2人は黒人の貧困を象徴するため、シューズを履かず黒いソックスを履き、黒の手袋をはめた拳を高く挙げ、人種差別に対して抗議しました。

1965年に公民権法が制定されてはいたものの、アメリカでは人種差別は根強く残っていました。しかもオリンピックが行われた年の1968年4月4日に公民権運動の指導者・キング牧師が暗殺されたばかり。

しかし会場はブーイングに包まれました。そしてその様子は衛星中継で世界に放送されました。

IOCはこのような政治的パフォーマンスを禁止しているため、トミーとジョンをアメリカ・ナショナルチームから除名、オリンピック村から追放する命令を下し、一度は拒否したアメリカもナショナルチーム全体の追放をちらつかされたためのむしかありませんでした。

トミーとジョンは帰国後批判に晒され、長期間にわたりアメリカスポーツ界から事実上追放されることになります。

「ブラックパワー・サリュート」に何ら関与していないように見えるピーター・ノーマンですが、実は「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを3人揃って身につけていました。

表彰式でトミーとジョンがしようとしていたことを事前に知っていたピーターは、2人に対し「おれは表彰台の上で何をすればいい?」と申し出て、同じバッジを付けて表彰台に上がったのです。


出典:kathleencross.com

トミーとジョンに同調したとして処罰され、オーストラリア内ではバッシングの嵐にさらされ、脅迫状を送りつけられたりも。当時のオーストラリアはまだ白豪主義の時代でした。

ピーターはオーストラリアオリンピック委員会からも不当な扱いを受けることになります。1972年のミュンヘン・オリンピックの予選会で3位に入ったにも関わらず代表に選ばれず、傷めたアキレス腱は足を切断する寸前にまで悪化。アルコール依存症とうつ病で苦しみます。


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ピーターはトミーとジョンの行為を人類に対する冒涜だと公に非難すれば許すという名誉挽回のチャンスを知らされたことがあるそうです。しかし自分は間違ったことはしていないという信念を貫き、その申し出を退けました。

ピーターは2000年のシドニーオリンピックに呼ばれることもなく、2006年に死去。64歳でした。ピーターの棺を担いだのは、あの日依頼親友として親交を続けてきたトミー・スミスとジョン・カーロスでした。


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その少し前から、甥のマット・ノーマンがピーターの名誉を回復するため、ドキュメンタリー映画を制作しようと奔走していました。

しかし資金を集めるのにも苦労し、映画『en:Salute』が完成したのはピーターの死から2年後の2008年。敬礼を意味する“サリュート”はもちろんあの「ブラックパワー・サリュート」のことです。

わずか15館の公開で始まった上映は、口コミで人気が広がり、アメリカなど世界6カ国で上映されました。オーストラリアの国内外で8つの映画賞を受賞し、多くの人がピーター・ノーマンの偉業を知ることとなりました。

それが議会を動かし、2012年にオーストラリア議会がピーターの名誉を回復を議決。ミュンヘンオリンピックに出られなかったなどのピーターが受けた扱いや、表彰台で行った行為が評価されなかったことについて、謝罪したのです。


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ピーター・ノーマンの行為が正しいものであったとようやく母国から認められたのです。

トミー・スミスとジョン・カーロスの二人はピーターより先に1970年代半ばには名誉を回復。2005年には黒人の人権のために戦った英雄としてサンノゼ州立大学にあの表彰台の時の銅像が作られました。


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この銅像にはピーター・ノーマンがいません。実はサンノゼ州立大学が打診をしたとこと、ピーターが断ったそうなのです。ジョンが電話でピーターに理由を問いただすと


「二人を支持する人々が自分の替りに表彰台に立ち記念撮影をすることが望みであると。自分はブラックパワー・ソリュートを支持しただけで実際には二人の行為を行なっていないから。」

出典:先読み情報局

と答えたそうです。

あの日、ピーターが立った2位の台座には、「take a stand」と刻まれています。

この言葉には二つの意味があります。一つは「ここに立ってみて下さい」。

そしてもう一つは「自分が信じたことのために立ち上がりなさい」です。

もっと早く名誉回復して欲しかった!

 

ネットの反応

・銀メダルの白人選手にもこんなドラマがあったなんて・・・
・ピーター・ノーマンの純粋な人道主義に感動し涙します
・1968年の出来事がつい4年前の2012年に謝罪されるなんて信じられない
・甥の努力も評価したい

トミー・スミスとジョン・カーロスの話はよく知られていたものの
ピーター・ノーマンについてはあまり知られてなかったようです

出典:イミシン, 先読み情報局

引用元

bazzoo.info

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